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隣国に新大統領が誕生した。

非常な反日思想の持ち主で
北朝鮮に親和的な対処をするだろうと
評価されている。

もともと候補者のすべてが反日思想の持ち主であっただけに
もっとも反日思想を明確に振りかざし、
『日本は敵性国家であり、慰安婦問題もすべてやり直しせなばならない』
そのように明確に主張する人物である。

 日本とって
非常に結構なことであると思う。

かの国の実相が
飾りっ気なしに伝わることになるきっかけであるとすれば
それは、隣国の理解する上で
非常な好機となると思えるからだ。
2017.04.24 渡部昇一先生
渡部昇一先生の図書で、
出来ない理由を探すな。 一流と二流との区別は、このことに尽きる。
そのような内容の記載のある図書との出逢いがきっかけであった。
その後、『致知』という名の雑誌で、先生のエッセイや論文を読み
その深い造詣と知性とに感服することが多かった。
 
 先生が数日前に逝去された。
祖国を愛された先生が亡くなられた。

その御遺志の一端でも担えてゆければと強く思う
野良猫との出逢いでは、*
* まれに、その子たちのための里親が見つかったり、*
* 里親を見つけてくれるボランティア団体に託することが出来て*
* その子たちの将来への心配の中にも*
* 歓びを感じることもあります。*

* でも、やはり、*
* 虐げられたり、事故にあったり、病死したり、*
* また、忽然と姿を見せてくれなくなったり・・・*
* 寂しさ や 切なさ や 悲しみ、*
* そして、*
* 人や人の社会に対しての怒りを、*
* 覚える機会が多くあります。*

* つらい、悲しい思いをするのは、やはり嫌です。*
* ですから、*
* 毎日出会う子たちとは、*
* 淡々と付き合おうと思ってはいます。*

* でも、このたび亡くしました≪ボス猫≫のように*
* ほぼ毎夜、必ず食事のたびごとに、*
* その姿を現してくれる日々が、*
* 三年にもなりますと、その間のさまざまの出来事が*
* 印象にも残り、 忘れられなくもなります。*

* その姿を見ない日が続きますと*
* 寒いときは、その寒さをどのように凌いでいるいるのか、*
* 草がないからとビニールを食べたりはしていないか*

* 暑さの厳しい折は、与えたフードにも、アリやナメクジなどの*
* 虫がすぐたかってくるほど環境は、不潔になります。*
* 皮膚病や眼の病気を患う子たちを見かけることも*
* 少なくはありません。*

* 車が頻繁に通る街を、そんなにゆったり歩いて事故にあわないか。*
* 道路の端にも、心無い人間が割ったガラス瓶の破片も多い*
* 十分に、気を付けて・・*


* 思いは、やはり募るものです。*

* ・鳴くことのない子でしたが、お腹がすいたときは、*
* 低い声で鳴いて近づいてきました。*

* ・食べ物をいれた黒いトレイに、*
* 仲間の猫や子猫が近づいてきて食べようとすると*
* 必ず、自分は後回しに、順番を譲っていました。*

* ・ビル街での餌やりですから、*
* ビルの警備員の警備の間隙を縫って、フードをあげ*
* うるさ型の住人に見つからない様に、フードをあげたり*
* そして、また見つからないうちに、そのトレイを回収したり・・・*
* そういう事にも、*
* よく馴れてくれていました。*

* ・その体に触れさせるような子ではありませんでしたが、*
* 抱き上げた時、あらためてその大きさが分かりました。*
* 抱き上げた、その体は、まだ柔らかくて、ふくやかで、*
* 愛おしさが募りました*
シナの下司な対応を知った以上は
日本国民のみなさん
ぜひ週に一度とは言いませんが
ぜひ月に一度は、最寄りのアパホテルにとまろうではありませんか
2017.01.23 ボス猫の死
  三年近く、餌をあたえておりました、界隈の≪ボス猫≫が
  一昨日の夜8時過ぎ、堺筋の大通りで死亡していました。

   大通りのちょうど、まん真ん中のレーンで、
  白い毛布のような塊を見つけた際は、
  その大きさから、嫌な予感のとおり
  ≪ボス猫≫でした。

   行動範囲の非常に広い子でありましたから、 常々心配はしていました。
  堺筋の大通りを渡ろうとした際、
  比較的閑散とした、土曜日の寒い夜であっただけに
  いつもよりスピードを上げて通過する車に、
  轢かれてしまったのだと思います。

  残念ながら、頭部が無くなっていましたが、
  抱きかかえた身体は、とても大きくて、重くて、柔らかくて、
  両手両足の白い毛についている、いつもの土の汚れの特徴から
  そうだと容易に推察できました。

  歩道の街路樹の土の上に横たえて
  新聞紙で覆った後、東警察にその旨をつたえて、
  どうぞ生ごみとして処分せず、弔いを簡単にでいいから
  お願いしたいと伝えました。

   当日、もし大阪まで、車で来ておりましたら、 
  以前もそうしたように
  どこかに連れて行って、埋葬をしてあげることもできたのですが、
  あいにく、電車での通勤でありましたため、そうするわけにも参らず
  警察に電話したことが、悔やまれます。
  街路樹の土の下に埋めてあげれば、
  この子の生きた街であったのにと
  悔やまれます。

   つよく懇請したこともあってか
  午後10時過ぎに帰宅の途上、立ち寄った際は
  もう遺体も、その上に被せました新聞紙も
  ともに無くなっていました。


   たしかに、野良猫たちは
  与えられた環境を、自ら変えることはできません。
  与えられた環境のなかで、 ただただ、必死に
  生きているだけです。

  野良猫と向かい合ったとき、
  どのように向かい合うかは、
  社会の成熟度のバロメータであるし
  個人の人間性の真否のバロメータであると
  強く思います。