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動物愛護の基本は他者、特に弱いものを護ることではないでしょうか。

お腹を空かせていたら、人であれ、動物であれ、何かを食べさせてあげたくなる。

この人間の持つ他者への思いやりを真っ向から否定するのが、

野良猫への餌やり禁止、「無責任」な餌やり禁止条例化です。


「無責任」か「無責任」でないかは、全て人間だけの都合で、

そこには、命を保護する部分が全く欠けています。

動物愛護法の精神が欠如し、今まで餌をもらっていた猫も、餌をやる人が条例違反者となり、

猫が餌がもらえなくなり、それは動物虐待であり、動物愛護法にも触れる条例です。

これを認めることは、出来ません。


猫が生きるため、餌を貰うことは当たり前で不可欠なだけです。

一定の基準で、一定のやり方を「無責任」と規定し、それを条例違反とすることは認められません。

捨てられ、飼主のいない猫には生きるため何よりも「給餌が必要」です。

未手術な猫は行政が費用などを支援することでより速やかな手術が実現します。



「無責任な餌やり禁止」に賛成することは、

猫が飢えることを良しとすることで、動物愛護、動物保護の精神ではありません。


今後、行政の野良猫の引取がなされず、殺されない分、猫は社会で生きています。

それを飢え死にさせるなら、形を変えた殺処分となります。


現在 飼主不明で生きている猫の大半は、捨てた人の「無責任」の結果です。

猫に罪は無く、餌をやる人に責任はありません。

が、その猫が、生きるためには食べ物が必要です。

手術は、人間のために必要なものです。


これらの「必要」は全て、捨てた人の後始末です。

この後始末は、行政も含めた、税支出も含めた 市民全体の分担作業となるのが本来の姿です。



餌をやる人だけが担うことではありません。

餌やりさんに「無責任でない餌やり」を条例で強制的に求めることは、

餌やりさんに野良猫が存在すること自体に責任があるかのごとく、誤解を社会全体に与えます。




ご自分の財より、ご自分の時間を割き、自主的に餌をやって頂いているだけでも大変有難いことで、

善良な市民をして感謝すべきことです。

改正動愛法により、速やかに野良猫が減り、苦情を減らすことを行政はしなければならない「義務」があります。

殺さず、飢えさせず、他所に捨てずに、

その場所での寿命の全う、もしくは、人に飼われることで、数を減らし、居なくすることが現在の解決方法です。


単に捨てられた猫に飢えを味わわせ、

この問題解決の障害となる「餌やり禁止」は認められません。



以上は、餌やり禁止条例に対しての
ペット法塾の立場です。

 すばらしい内容だと思います
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